2013年8月8日

風立ちぬをざっと書く。

昨日映画「風立ちぬ」を見てきました。

宮崎駿さんというか、スタジオジブリもの・・・
私は「風の谷のナウシカ」に関してはその混沌と力強い世界が原作漫画、アニメーション映画も両方大好きです。(漫画を読むとアニメのラストはちょっと・・・なんだけど、人物の動きや世界の作りこみとかはやはりかなり素晴らしいのひとこと。)何せ幼い私がアニメーションに嵌ったのがこの映画でしたから。自分に与えた影響は相当強く大きいと感じます。
ただ他のジブリ映画に関しては作品による・・・というかどうもジブリ映画の「世間的にも当たり作品」とは相性が悪く、「魔女の宅急便」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」についてはあまり良い印象がありません。この辺りは書くと長くなるので置きますが。
そういう事もあり、最近のジブリ作品は見たり見なかったり。劇場へ足を運んだのは「ハウルの動く城」以来になります。※ハウルは最初の数分だけ非常に好きです。あれで全てだと思ってしまうのですが^^;

今回評判が多様なのとtwitterのフォロワーさんにもお薦めされ足を運んでみました。とはいえ映画について全然知識がなく、スクリーンに向かう前に知っていたのは零戦の設計者を「モデルにした」お話であること、主人公の声を庵野秀明さんが充てられているのと、ヒロインの名前が「菜穂子」であること・・・いえ私字は違いますが本名は「なおこ」ですので、変な気分になるかなぁと思いながらも、それだけしか知らなかった事を先に書いておきます。

以下ネタバレを含んでおります。未見の方は読まないほうが。

主人公の夢が映画とリンクしている構造になっていて、「本人はただ理想とする飛行機を作りたいだけ。それがどう使われようとその後は自分の及ぶ所ではない」という感じを受け、なんというか、とても優れた創造者の日々を視覚的に分かりやすく追う、みたいな展開になっていたように思います。そしてそれは自分にはとても真似が出来ませんが、確かに誰もが一日に24時間しか時間を与えられていないのでとある目標に追求に追求を重ねるとそんな人生になってしまう、そしてそれは代償を伴いつつも清清しささえあるかな、とは感じました。
出来上がった飛行機が彼の夢の中で破壊され消えていくのは、彼にとって「最善と思って設計した先の限界が見えてしまう」のでしょう。ひょっとするとエイドリアン・ニューウェイなんかはF1の新車を設計してそれが出来た時点でもう、また次の改めなくてはならない点が浮かんでくるのかもしれません。
そして人生の殆どを飛行機に没頭しているから彼は時々人の話を聞いていない。その辺りの描写はアクセントになっていて上手いなぁと思いました。これまた時々出て来る堀越二郎の妹、佳代とのシーンでも強調されていますよね。
そしてそんな彼を、堀越二郎は親切でとても優しいけど、一方ではそんな人物だと知っていても、全てを受け入れ命を賭して愛を貫いた菜穂子さんの存在・・・ってあの「運命を伴ったような」出会いは反則にちかいものが(^^ゞだってあれでは全面的に、ずっと信頼を置くに決まっている・・・!そしてそういう展開に私は非常に弱い(^^ゞ(^^ゞのですが、それゆえに気になった所があります。

ラストシーン、夢の中でカプローニさんと談話する所に菜穂子さんとの再会がありますが、彼女はやがて消えてしまいカプローニさんとは話が続いています。これって「零戦の時は彼女はかけがえのない存在だったけど、その後の人生には(思い出としても)寄与しなかった」ということなのですか?
生きてその才能を発揮し、堀越二郎としての人生を切磋琢磨して輝いて欲しいという彼女の言葉は届いたかもしれませんが、夢であっても彼の中でずっと寄り添って欲しかったとは思うのです。夢なんだから。それとも愛も大事だけど結局は自分の夢に生きてしまった、と取る所なのでしょうか・・・
その辺りと、キャッチコピーの「生きねば。」がやや唐突かな・・・。堀越二郎は戦後も長くご活躍なさっているので、零戦での光と影を見た、そんな今後の彼の人生もほんのちょっと、覗かせてもらえれば良かったかも知れない気はしました。
というか最後のシーンは観た時は「もうこの世にいないもの」としてのシーンなのかと思いましたよ。

個人的には大正~昭和初期の風景・・・最近親戚や家族から昔の写真を色々見せてもらっていたので、その時はこんな感じだったのか日本、というイメージと今とのギャップがより具体的に広がりをみせてとても興味深く、また観ていてタイムスリップをしているようでもあり、とても素敵だと思いました。上野や名古屋駅とかは行かれたことのある方は、今でもああそんな名残がある!というのがお分かりになったかも知れません。
そして飛行機のドラマなので空はとても美しく、飛翔する飛行機は映画の「夢でも現実の世界でも、」触れてはいけない領域も感じる危うさと孤高さが混じった描写がされているように感じられ、これはテレビではちょっとそんなことは感じなかっただろうなと思ったので、その点では観に行ってよかったと思いました。

ただね、ただ・・・
主人公のビジュアルは何とかならなかったのかなぁ。ちょっと現実味なさすぎるだろうに。才気溢れる創造者として、庵野さんを採用した声の意図は理解できたけれど(合っていたと思います。演技がどうかは別で(^^ゞ)パズーをそのまま若干歳を取らせて眼鏡かけただけじゃないか。菜穂子さんはヒロインなのでドラマの展開も考えれば美少女で良いのですが、堀越二郎は外見をもっと「ありきたりな」青年で描けなかったのかな・・・震災から殆ど姿が変わっていないのも違和感が。子供時代にいじめっ子を投げるシーンも、格好良すぎなイメージを付け足しているようでその辺りも気になりました。普通は駄目なんですかね?あれだけ好青年なら菜穂子さんはどんなルックスでも惹かれてくれると思うけど。他の面々が個性的に書かれていたので尚のこと・・・映画的に二枚目でないと駄目なのかなぁ。

そんな所です。ざっとで申し訳ありませんが、私になりに書かせていただきましたm(__)m2時間楽しかったですよ。何かに打ち込んでいる方は特に、一度観ておいても損はないように思いました。

2013年6月9日

音楽が語りかける!〜オーケストラ・リベラ・クラシカとハイドン

〜何はともあれ、ハイドンの明るさ溌剌さ、滋味、ユーモア、そしてアタマを使わせられるアイデアの数々を、オリジナル楽器のサウンドと共にどうぞ最後までお楽しみ下さい。〜

この一文は、昨日行ってきたオーケストラ・リベラ・クラシカ(以下OLCと略します)第31回定期演奏会のパンフレットに書かれている指揮・チェロ独奏・何よりこのオーケストラの主宰でもある鈴木秀美さんのお言葉から最後の部分だけ抜き出したものです。
そしてそのお言葉通りの世界、それも物凄くウキウキ和やかで、かつ音楽がキラキラ輝き出した瞬間を味わってくる幸運に恵まれたのでした。

今回の演目はこちら。
会場は上野から徒歩数分の所にある上野学園 石橋メモリアルホールです。
オール・ハイドン・プログラム
チェロ協奏曲第1番ハ長調 Hob.VII-b.1
交響曲第4番ニ長調Hob.I-4
交響曲第87番イ長調Hob.I-87

ハイドンについては全く知らない訳ではありませんがそれでも「殆ど知らない」に等しい位でしか認識していなかった様に思います。
何回か演奏会で交響曲聴いていますし(鈴木さんとは山形交響楽団との2011年7月の定期演奏会を山形で聴く事が出来ました。あの時の「軍隊」もとても楽しかったなぁ。この演奏会はCDになっていますので良かったら)何より3月白鷹町で聴いたアンコールのハイドンの弦楽四重奏1番の一部…本当に一部なんですよ。その穏やかな美しさに惹かれて俄かにハイドン熱が盛り上がり、もうちょっと良く知りたいなぁ、と思ったのです。ところが…
ハイドンが多作だというのは以前から知ってはいたのですが、アンコールの弦楽四重奏の1曲が知りたくて買ったNAXOSのハイドン弦楽四重奏全集は25枚組!交響曲は「軍隊」が100番だから覚悟していたけど全集だと34枚!とてもじゃないけどすぐに味わい尽くすのは無理無理無理。
でも交響曲も多少知りたかったので中期中心の7枚組を買いました。その頃紀尾井シンフォニエッタでの定期演奏会で88番「V字」がプログラムにあったこともあったからです。この曲もとても優雅で、あの時も楽しかったなぁ…ついでに次の89番は「しょうじょうじの狸囃子」に激似で別の意味でおかしい…
そうしたら今度は44番「悲しみ」がテレビ・題名のない音楽会で特集されたり、ちょっとしたマイ・ハイドンブームがやって来ていたのです。必然的にハイドンを良く取り上げるOLCにも関心が行くわけですが…しかし上野(それも駅からちょっと歩く)遠いなぁ、あと前から書いていますが「演奏会を聴くのも頭やエネルギーを消耗する」行為でもあるため、実際に行くと決めたのは演奏会の前々日、結構ぎりぎりでした。
ハイドンの膨大な曲目リストからも当然?知らない曲ばかりで、急遽87番だけ数回CDを付け焼き刃で聴いてから行きましたが果たしてそれでいいのやら…しかもピリオド奏法はまだしも、OLCの特徴でもある当時のオリジナル楽器使用ってひょっとするとマニアック過ぎてついていけないかもしれない、という不安も若干チラつきました。

ところがどっこい!!最初の音からその柔らかい世界にニコニコして聴いていました。オリジナル楽器の知識まるで必要なし(あればもっと楽しいでしょうけど・・・恐らく現代のオーケストラ楽器よりどれも演奏は難しい筈です。)
ホールと楽団の規模も非常に合っている。実はこの要素はとても重要だと思っています。時折興行的側面から、リサイタルを大ホールで行ったりしてそういう時は音が分散したり、あるいは小さなホールで詰め込みすぎて聞えがよくなかったりするのですが、ここではベストに近い感じ組み合わせ。凄く豊かな音が広がりを持たせつつ心に真っ直ぐ響いてくるのです。そしてとてもとても上手いから安心して聴ける!
ハイドンの頃はサロン音楽としてこんな風に楽しまれていたのではないか、そしてハイドン愛されているなぁ、と凄く伝わってくる演奏でした。なんだかとても温かい音がするのに、それが情熱だけでなくかなりのテクニックで支えられているのが素人でも良く分かりました。

そしてハイドン良く知らなくても、古楽器について分からなくても誰でもこの演奏会は楽しめると思いました。まさに私がそうでしたし、クラシックにちょっとでもご興味があればきっと素晴らしい経験が出来るのではないかと思います。(アンコールに77番の第2楽章を演奏されましたが、「誰も知らないでしょ」と鈴木先生・・・(^_^;でも大変心和む良い曲。聴いてみたいのですが7枚組みのCDに入っていなかった・・・)
周りを見ているとクラシックファンだけでなくご近所さんらしき方もチラホラと。この大変優れた演奏を身近に聴ける環境にあることが、とても羨ましく思いました・・・。
次のOLC定期演奏会が10月19日に同じ上野学園 石橋メモリアルホールで開かれます。個人的にはF1日本グランプリの次の週なので行けるかどうか分かりませんが出来たら足を運びたいと思っています。オーケストラの特性から古典派と呼ばれる(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン辺りが代表格か?)曲目が中心になると思いますが、鈴木さんの親しみあるキャラクターも、クラシック音楽を身近に感じられる入り口になるのではないかと思います。というかお好きな方は特に、こんな素敵な演奏見逃すのは非常に勿体無いですよ!
という訳で今後とも注目したいオーケストラがまた一つ増えて、帰り道は多いに家人とハイドンとOLCで話がもちきりになった、土曜日の夜でした。

※こちらはハイドンではありませんが、OLCの動画もあったのでご紹介。次の定期ではベートーヴェンの4番を演奏されるのですよね・・・3番と5番に挟まれた地味な存在を、どう繰り広げられるのでしょうか?

2013年5月20日

エリック・ル・サージュに思いを寄せる・その2

さて続きです。
その1でも少し書いたのですが、エリック・ル・サージュはいわゆるピアノのソリストとして以上に、他の楽器を伴ったアンサンブル・ピアニストとしてのご活躍が多く、昨年もフランスのクラシック・スーパー軍団(としか書きようがない気がする(^_^;)のレ・ヴァン・フランセの一員として来日しています。
(レコード会社との兼ね合いなのか幾ら検索してもル・サージュさんの写真が出てこないのですが、間違いなく一員です。この面々は去年NHKのらららクラシックでも特集されました。)
このためかどうか良く分からないのですが、実はあんまり知られていない存在?なのでしょうかル・サージュさん。こんなに「世界を構築している」のに・・・
レ・ヴァン・フランセでのアンサンブルも美しかった&サイン会での優しそうな微笑みは印象的だったのですが、やはり今回のリサイタルは彼独自の音が聴ける!と興奮気味でその日を待ちました。
そして・・・

翌日、頭が彼の音で溢れかえりそうになって、体調不良&頭痛に襲われました(^_^;)

いや、真面目にそうだったのです・・・。
私のからっぽアタマでは、彼の用意してくださった盛りだくさんのプログラムは私の中でそうたやすく消化しきれなかったのです。
ただでさえコンサートというのは、・・・それが例え聴く側であっても、普通の生活とは全く異なる世界を体感するということであり、身体を消耗させる行為なのです。(これはブログを書くとか、絵を描くような場合も同じ事です。運動とは違う心と身体を使っている感じと言いますか)クラシックの演奏会には多少慣れている方だとは思っていましたが、まさかこんなことになるとは。

今回のプログラムは、ル・サージュさんが今自分が表現したいものディナーに見立てて組まれたそうです。
ドビュッシー「子供の領分」
ドビュッシー「版画」
(これが前菜)
ベートーヴェン「ワルトシュタイン」
(これがメインその1)
~休憩~
シューマン「幻想曲」
(こちらがメインその2)
ドビュッシー「映像 第一集」
ドビュッシー「喜びの島」
(ここでデザート)

紀尾井ホールに着いてまず驚いたのが、開演が19時なのに終演が21時20分だということ。オーケストラの定期演奏会は大抵2時間が多いのに、リサイタルでそのボリューム!
尚私個人としては幻想曲と喜びの島は知っていましたが、ワルトシュタインは自信なし、あとは・・・みたいな状態で臨んだ事を先に書いておきます。

実はドビュッシーもシューマンも、ル・サージュさんは得意ですしもともとフランスの方ですから、もうドビュッシーなんて多分他の国のピアニストでは表現しきれていない「フランス的なもの」を模様のように出しつつ、控えめな煌びやかさと、まるで一枚の絵と対面しているような色彩感を出しておられました。
それはそれはもう、ここでしか聴けない空間だったのです。(なのにドビュッシーを録音されていないのは、あんなに確立した表現をお持ちなのにも関わらず、まだ彼には表しきれていない部分があるとお感じになられているのでしょうか?)
この世界感に関してはリサイタルの前々日にあった中木健二さんとのデュオでも存分に発揮されていて、乱暴に書いてしまえば「ちょっとやそっとじゃ日本人には真似できそうもないニュアンスのある」演奏なのです。お洒落と書くと途端に野暮ったくなりますが・・・
でもその辺りは私の想像以上でしたが、ある程度、ル・サージュさんの面目躍如だというのは事前に思い描いていた事でした。

しかし今回の彼の演奏で、私が尤も心を捉えて離さなかったのは実はベートーヴェンの「ワルトシュタイン」だったのです。
ただ先ほども書きましたがこの曲・・・いつかどこかで聴いた筈なのですが良く覚えていなくて、という体たらくでしたし、そんな私があんまり声高に書くのもどうかと悩みましたが
「凄くロックだなぁ。やっぱりクラシックも古い曲ではなくロックに通じる所が多分にあるんだなぁ、いいなこれ。」とずっと興味深く聴いていたのです。
こういう、クラシックなのにロックのように感じた体験は実は2度目で、初回は2004年の山形交響楽団で、まだ音楽監督になられていなかった飯森範親さんが指揮されたベートーヴェンの「運命」だったのです。そしてその時の印象が、それまで殆ど知らなかった世界への感銘となって、その後のクラシック趣味へと繋がっていたのです。

演奏会後でこの時の感想などを検索すると、このワルトシュタインに対しては批判的なご意見も多く見受けられたので、この演奏はかなり型破りなタイプのものだと知ったのは翌日になってからの事でした。同行してくれた家人も「テンポが急に変わったりしていたし一番ピンとこなかった」と話していました。
なので私の感想はかなりへんちきりんなものかも知れませんが、ル・サージュさんは今年になってからベートーヴェンのピアノソナタを録音して来年CD化されると聞いていたので「いや~、出たら絶対買おう!」と思ってしまったのは確かです。
実は他の演奏者のCDや演奏を聴いたら印象が変わるのかな・・・この辺はそうした方がいいのかも含めてとても悩ましい所です。

大雑把ではありますしどうも視点の違う感想のように思いますが、次の日頭痛で苦しんだくらいの、エネルギーに満ち満ちた演奏会であった事には間違いないと思います。
そして今一番気になっているのは、どうもこのリサイタル、録音されていたのではないかという感じがしてならないのですが・・・NHK-FMあたりで放送してくださらないでしょうか。
そうなったらツイッターでもブログでも全力で宣伝します!
エリック・ル・サージュの魅力は彼にしか生み出せない世界が、音の広がりがあるという、文字ではさっぱり説明がつかないので(オイ!)是非そのような機会があれば皆様にも「体感」して頂ければ幸いです。
えっすぐに?・・・eric le sage と検索すれば動画も幾つか出てきますが・・・こちらとかいかがでしょう?彼はいつもスタインウェイのピアノなのですが、この映像だとヤマハだ!おおこれはとても嬉しいです。少しでも彼の細密で色とりどりの雰囲気が伝われば良いな。

エリック・ル・サージュに思いを寄せる・その1

そうか・・・こちらでは一度も取り上げた事がなかったか。エリック・ル・サージュさん。
ツイッター、あるいは漫画ファイブスター物語に特化したブログ「絶対秘密。」では何回も取り上げているアーティストだったのですが。いかに私がぐうたらなのか分かってしまいます。

2年前、2011年の11月にあった紀尾井シンフォニエッタの定期公演で・・・ヴァレーズさんの指揮でしたっけ・・・そこで私は今までに全く耳にしたことのないピアノを聴きました。
曲はラヴェルのピアノ協奏曲で、この曲は私も好きですし、また多くのオーケストラがその華やかさとプログラムの組みやすさからかとても多く取り上げるため、ひょっとすると生演奏では一番聴いたかも知れない部類のコンチェルトなのですが、曲はあまりにお馴染みなのに、全然私の知らないラヴェルが響きだしたのです。音が鳴っているのに静寂が広がる不思議な世界。
そしてアンコールのドビュッシーのこれまた経験したことのないクリスタルのような数分の世界が終わるや否や、私は真っ先にCDを買いに走ったのです。
ただラヴェルもドビュッシーもなかったのでどれを手にしたら良いのか分からず、ジャケットに惹かれた写真一番左上のシューマンを買いました。

それがエリック・ル・サージュとシューマンとの出会いでした。この出会いがなんと幸運だったか!ル・サージュのシューマン全集は11枚(多くは2枚組み)もあってボリューム的にも価格の面でも(^_^;)大変でしたが半ば無我夢中になって集めました。だってどれも耳を離さない曲と演奏だったから。
(最近このシューマン全集は、廉価盤としてピアノ、およびピアノを含む器楽曲版としてまとめて出されております。はっきりいって超お得!ご興味ある方是非手に取っていただきたい・・・ピアノ版なんて13枚組みで3千円台ですから。)
何度ロマンスと悲哀と温かい眼差しに溢れた世界が私を魅了した事か。これは演奏者がシューマンに似ているんじゃないんだろうかと幾たびも思ったほどです(いや、実際はそんな単純ではないとは思いますが・・・)

その彼が、紀尾井シンフォニエッタでの評判が良かったからなのか同じ会場でリサイタルを開いてくれる事になり、しかも同時期にチェロの中木健二さんとのデュオ公演もあると知り、「これはル・サージュ祭りだ!」と勝手に宣言して発売日当日にチケットを購入し、その日をずっと、今か今かと待ち構えていたのでした。
長くなりそうなので次項に。
今回やっと揃ったシューマンの11枚(一部パンフレットなどで隠れてますが)の作品群とともに。このジャケットだけでもうっとりする感じに仕上がっています。ただ、ル・サージュさんの写真はちょっと古すぎです(^_^;)直さないのかな・・・一枚サインが入っているのは昨年のレ・ヴァン・フランセのときにいただいたもの。この辺りの事も若干次に書いています。。

2013年4月9日

米沢白鷹ひとり旅・・・大分色々ありました(^_^;)

それは、3月に酒田の希望ホールで山形交響楽団を聴きに出かけた直後の事でした。
  「面白そうなんだけど、この日は出張でどうしても行けないし…だからひとりで聴いてきて」パンフレットに挟んであったチラシとともに主人から言われた一言がきっかけでした(^_^;)
 チラシにあった山形弦楽四重奏団は現在山形交響楽団のメンバーで構成されており、信頼できる山響の面々だから、私も何となく眺めていて演奏会そのものは面白そうね、位に思っていたのですが・・・
でも、でもですよ。
「白鷹町ってどこ?」「紺野陽吉さんって誰?というか、日本人作曲家良く分からない・・・」
みたいな私が一人出かけても果たして大丈夫なのでしょうか。
チケットを買おうとチラシの電話番号にかけ、「東京から行く」と話したら大変驚かれました・・・そりゃそうか。

 そんな不安を抱えたまま、今回の演奏会で唯一わかるプログラムだったモーツァルトの「狩り」をiPodにダウンロードし(アルバン・ベルク四重奏団のです)土曜日にひとり、私は新幹線のホームにたつ事になったのです。
交通アクセスに不安を感じたため、米沢で一泊して(直江兼次の甲冑や上杉謙信の肖像など心惹かれる展示物を見てきました)、日曜日に米坂線→フラワー長井線を乗り継いで(米沢から約1時間)、え、これ駅?(すみません・・・)みたいな四季の郷駅を降りると、そこから程なく会場の白鷹町文化交流センター”AYu:m”あゆーむが見えます。
そちらの様子はこちらのアルバムからでも少しは分かるでしょうか。

あゆーむは大変立派な、木の温かみを随所に感じるゆとりある会場で、展示室も演奏ホールも小ぶりながら、そのままボーっと一日いて好きなクラシック音楽(音源がこれまた豊富!)音楽をロビーの音響システムに任せて、ただただ外の眺めを満喫したいような所でした。またどこから見ても朝日連峰の山々が素敵!オーストリアみたい(行ったことないのに(^_^;)

そして今回の演奏会の中心でもある紺野陽吉さんは、この白鷹町出身の作曲家で、残念ながら若くして太平洋戦争で亡くなられてしまったのですが・・・その方の遺稿3曲が18年前に発見され、それが巡り巡って今回ふるさとのこの地で、山形弦楽四重奏団というまた素晴らしいメンバーで初演されるという大変興味深い内容でした(だからひとりでも行って来い、だったのですね。)
その内容は、新聞記事にもなりました。テレビ取材も来ていたので、山形では放送されるのでしょう。(こちらで見ることが出来れば最高ですが・・・)
私の個人的な感想としては、(初演、もしくは2度目演奏の曲でもあり、表現が拙いことはお許し願いたい。)最初の弦楽二重奏曲は、ふるさとの(まだ私はその風景をほんの数十分前に知っただけですが)生活と四季の眺めを思い起こさせ、もう一つの(未完のまま出征され、補作されている)弦楽三重奏曲はなんだか咲き急いでる桜の花を連想させました。そして(楽譜的に)大変難しそうだ・・・よく山形四重奏団はこれを取り上げてくださったと思います。

なのでその後のモーツァルトは、あれだけの演奏が出来るならと安心して臨み、そして見事な「狩り」を聴かせて下さりました。オーケストラとの二束のわらじは大変な事もあるかもしれませんが、今度東京でも聴かせて欲しいなぁ、と思う完成度の高さとハーモニーだったと思います。
大変満足したのですが、それ以上にびっくりしたのがアンコールのハイドン!1-1-3とおっしゃっていたでしょうか。なんとまた美しい・・・これはハイドンの曲にもきちんと向き合わないとと痛感しました。山形弦楽四重奏団はハイドンの弦楽四重奏曲全68曲を定期演奏会のたびに取り上げているそうなので、勉強した上で是非山形弦楽四重奏団で聴いてみたいと強く思いました。
そして紺野さんが残されたもう一つの譜面「木管三重奏曲」は来年またこの地で山響メンバーで演奏されるとのこと。今度は白鷹町で泊まりで、ふたりで行ってみたい.です。本当に素晴らしい、この画のような眺めが待っていますから。


なんですが、演奏会と、もう一つ展示ホールで行われていた「白鷹町の仏像展」でこれまたじっくり面白い仏像の数々を満喫して、さぁ帰るか・・・と思ったら暴風雨が私の前に立ちはだかりました(^_^;)
暗くなりかけた無人駅でポツンと心細く、窓のガタガタ音を聞きながら来るのか分からない列車を待ちました・・・フラワー長井線は5分遅れで来てくれました!一両しかない列車の乗客自分だけ、ひたすら徐行みたいな状態がしばらく続きましたが、(長井で乗客がいたときはホッとしました(^_^;)
何とか米沢まで帰ってきたのですが、もう既に新幹線は止まっていました(^_^;)
仕方なく切符は乗車変更し、米沢のビジネスホテルにもう一泊して(非常に便利な所。ダイソーつき24hマックスバリュが側で今回大変助かりました。食事も手作りで美味しいよ)、翌朝帰ろうとしたら、予定していた8時41分のつばさはいつまで経ってもやってきません。
待つこと4時間。
新幹線は結局やってこないまま、私は米沢のおばちゃん軍団(失礼・・・観光で東京に向かうとのことでした。スカイツリーの話など、和気藹々としていてありがたかったです。皆さん楽しまれたのかな?)と共にタクシー相乗りさせていただき福島へ。そこからさらに乗変したのですが、今度は白石蔵王で予定していた便がストップし(^_^;)いま来たのに乗れ、との指示で仙台からやってきたつばさに乗りました(ダイヤが大幅に乱れていた為、凄く珍しい事らしい。)
本来の予定からは18時間、翌日の新幹線からも5時間近く遅れた月曜日の夕方5時ごろ、無事に家に辿り着いたのでした。
いやほんとう、この度は、この旅で、多大なご迷惑をおかけしました・・・
忘れられない、楽しい3日間ではありましたけどね。
※記念にパチリと撮っていた切符の写真。実際はこのどれでもない新幹線に乗って帰りましたが・・・

2013年2月15日

その8


lまず今回の記事に関しては、もうゴティックメードも公開され3ヶ月経っていることですし、誰かがブログや掲示板に既に書かれていることなのでは?と感じつつ手がけています。
なので「そんなの知ってる、どこそこで見た」と思われたとしたら申し訳ないです。あくまで自分が感じた個人的記録として残している事でもあるので、当たっている外れている以上に、そちらが気になったのですが何か不都合があればお知らせいただきたいです。
加えてもうひとつ思うこと、誰か、私の目となってもう一回映画観てきて!(お前はムグミカさんか・・・^^;)

小さな小さな点から。
・戦艦シワルベ関係・・・
まずトリハロンが食事中にベリンの訪問を受けるシーンの絨毯に、トリハロンの後方部分にウォータークラウンっぽい刺繍がないか?と気になったのですが・・・パンフレットに食事シーンは写っているのですがそこが欠けている^^;側面に描かれている模様とは違う柄です。
また、シワルベ艦艇シーンの絨毯にに螺旋の十字?かと思いましたがこれはパンフに絵が有り、確認したら違いました^^;(まぁこれはありがちな模様か・・・)
あと、話の筋とは全く関係ないと思いますが、少年兵三人がトリハロンの温かい言葉に笑顔を見せるシーンがありますけど、オペレーターと思われる後方少年の脇にチョコレートケーキ?ザッハトルテ?みたいなお菓子が置いてあります・・・
少年達から若干位置が離れている為あれは少年達のものではなく、後でトリハロンもしくはボットバルトが食べるのか?とつい笑ってしまいました。いや誰のものでもいいんですがトリハロンのお茶シーンにショートブレットが出てきたり、永野作品の男性は甘い物お好きだなぁ、と改めて思いました^^;

・最後のシーン関係再び
例のあのシーンの話。
既に最後の背景横面に関してはニュータイプの2月号に載せられていますが・・・
ベリンが辿り着く都ハ・リは最初の夕焼けに照らされた荒涼とした大地→次の花が彩りだした(あれでも最低数年はかかっている、それともカーマイン・プラネット(ボォス)の気候によってはずっとあんななのかも知れないし、謎。)シーンまでは同じ建物の絵ですが、(細い塔が多い)最後の花が咲き乱れた絵はやはり建物の絵が全然違いますね。まぁ何千年も経過しているから建造物変わってるだろ!と言われればそれまでですが・・・(でも戦艦は変わってないよね?)

そして最後の金髪の女性ですが、彼女がフィルモア・ゴルケットを付けていることをようやく確認しました。これは「皇帝の胸飾り」で(公式のキャラクター図解にもクリスティン・Vがドレス姿でつけておりその説明があります。確か09年カレンダーの町にもついていましたよね)あれは皇帝およびそれに準ずる人物でないと付けられない物です。
となるとやはりあの女性はクリスでいいんじゃないかなぁ・・・勿論クリスが結婚してその子孫という可能性も捨てられないのですが、だとすれば「クリスと結婚するのはフィルモア皇帝」になってしまう。それは物語の展開からしてありえない話です。(残念ながら・・あ、結婚しなくてもいいの?^^;でもそれだともっとゴルケットを付けている可能性が低いか・・・)
クリスティンが既にゴルケット姿の設定画を出しているし、彼女の献身と功績、「フィルモア帝国とはクリスティンのことを言うようになる」というトレーサーEx.1からの一文からも、ここはクリスティンでFAで良いのではないかと私は考えています。
あのシーンに一緒にいる男性を支える「もうひとりの皇帝」として。だとしたら男性の名前もおのずと定まってくるのではないかと思います。

・東の東?トリハロンの仕事&彼の未来について
これはユリイカのトークイベントに参加されている方のツイートや、他の方が映画をご覧になり感じられた二つのツイートから基づいて私の頭に浮かんできた事です。実はこれに関しては私は今まで全くと言って良いほど気がつかず、^^;何回も映画を観ているのに何やっているんだという思いもありましたが、それ以上に、ファンの皆様がやはり色々な事を考えていらっしゃり、それに出会えた嬉しさというものを物凄く噛み締めました。
その元ツイートについてはブログの方に記載していますのでご覧頂いて、ツイートの掲載許可を快く受けてくださった @Dukesillywaker さんと @Hopper1178 さん、お二人には本当にどうもありがとうございました。それからユリイカのイベントで質問された方にお答えくださった金田さんにも感謝したいと思います。(金田さん位になると、もう展開としてはご存知なんですよね、恐らく・・・)

さて本題に入ります。タイトルの通り、トリハロンの未来についての妄想です。
トリハロン皇子が映画後の行動について予想されること、スクリーンから分かることから書いていきます。分かりやすくする為数字をつけました。

1 トリハロンはドナウ帝国「東の大国」の第3皇子である

2 惑星評議会のメンバー(すなわち身内)を殺したという事で、故郷に帰れば裁かれ、皇位継承についても多分奪われるだろう(とトリハロン自身は語っている)

3 帰った後、ドナウ帝国そのものの未来は兄に託し、自身は諸国を纏めて最終的には東と西に分裂していた「東の大国」との和平に成功する←あれ?東の大国はドナウ帝国でいいんだよね?

4 トリハロンは17年後、サイレン・ザ・グレート・フィルモア1として統合フィルモア帝国の初代皇帝になる。

展開としては、こういう順番なのですよね。
この映画にも出て来る「東と西に分かれた二つの大国」ですが、DESIGNS3には表を交えもう少し詳しく書かれていて東(ドナウ帝国側)は巨大軍事国家として、西は内政重視でレーダー王家の名前を持ち、太陽王国宗主国として君臨していると記されています。
その割には西の大国について何にも映画では書かれていませんが・・・しかしDESIGNS3の表記、何より今のフィルモア帝国の有り様から、西の大国の主であるレーダー王家の存在は絶対外せないものです。(何よりトリハロンによって出来た国の名前が「統合フィルモア帝国」ですしね。)

ということはトリハロンは諸国を纏め・・・と映画で書かれてはいるのですが、第三の勢力としてこの二つの大国に割り込んできたのか?と私はずっと思っていました。しかしそれでは・・・何というのかな、和平のテーブルに付くには不利かな、と。(しかももし第三の勢力として彼が乗り込んできたのならば、DESIGNS3の表にもう少しその経路が示される筈だと思うのですが)
そんな事を思いながら先ほど掲示させていただいたツイートを眺めぼんやりしつつ、ゴティックメードを観ていて私は一つの妄想が浮かんでしまったのです。
「トリハロンは諸国を纏めて、最終的には西の大国代表として和平に望んだ」のではないかと。

西の大国代表につくとしたら、ありえる路線はトリハロンが第三の勢力となり、それを利用しレーダー王家の誰かと婚姻を結ぶ。過程で幾つか考えられることはあっても、最終的に西の大国に辿り着かないと二つの帝国・・・エンパイア・フィルモア・イーストとエンパイア・フィルモア・ウェストは統合しないのです。しかも彼は武力を選ばないでその道を開いた方ですから。

私は何故そんな馬鹿なことを思ったのかもう一つ理由があります。フィルモア王家の象徴マークは太陽に基づいたものですが、フィルモア帝国に関する重要な要素の一つ「太陽王国」の名に関する記述はレーダー王家に関するものなのです。
DESIGNS3を読んだ時から何か変だな、と思いこの二つに関する接点でもどこかにあるのだろうか・・・とは考えていたのですが。もしかすると?太陽のモチーフはトリハロンのときに出来たものなのだろうかという気がちょっとだけしました。
トリハロンはひょっとするとレーダー王家・・・それも一番の宗家である太陽王国レーダー家の一員となったことで、太陽のシンボルを出身である自分の家系に持ち込んだ、そして彼らの家系そのものにフィルモアという王家名を復活させた可能性があるのではないかと。
でもトリハロンはフィルモア1じゃないか・・・と言われればそうなのですが、実はこの名前「サイレン・ザ・グレート・フィルモア1」が凄くひっかかるのです。

話が若干逸れます。どうぞお許し下さい。
「ザ・グレート」という名前から私がすぐ思いついたもの・・・シューベルトの交響曲第8番が通称「ザ・グレート」と呼ばれるのですが、もともとこの交響曲の名前はシューベルトが名づけた物ではなく、楽譜出版社側が「今までの彼の交響曲よりも、演奏すると規模が大きい」という意味で付けられたものなのです。なので偉大とかいう意味ではないのです(ただ「ザ・グレート」はそれについても素晴らしく、その名に相応しいシンフォニー、という側面も確かにありますよ。)
ただこの意味からトリハロンの皇帝名をなぞっていくと彼は「大(統合)帝国フィルモアの初代皇帝」の説明そのままでフィルモア王家云々とはちょっと違う?
思うにトリハロンは東の大国の出身者ではあっても彼の皇帝に立った時の立場としては西の大国側で単にレーダー王家(それも本流である太陽王国レーダー王家のものを)を名乗っていないだけなのではという風にも考えられるのです。特に私の予想がそのまま(有得んが・・・)だったら、彼は立場としては婿になりますし。DESIGNSの表記から、この2王家の名を冠してない皇帝も沢山いるようですしね(でもだとしたら非常に紛らわしいですが・・・)
いや当時としてはどっちでも良かったのかもしれません。国が纏まりさえすればね。

でもトリハロンの時代よりはるか昔から、FSSに至る時代まで沢山の王家が帝国には内包され、国としてはくっついたり離れたりしながらもそれぞれ存在しています。
もしこの数多い王家の中でフィルモアとレーダーが繋がった家系が存在するのなら、その家系はさぞかし王位継承に大きくクローズアップされるのですが・・・一つしかありませんね。
それがボットバルトに関わってくるのではないかともう一つ予想。
彼は映画のトリハロンべったり^^;なあの感じから、多分トリハロンが東の大国(ドナウ帝国)を去った後もずっと彼に味方し付いていったのではないかというのは割りと考えられる事ではないかと思います。
そしてトリハロンが私のお馬鹿妄想の通り、レーダー王家の流れをとりこみつつ初代統合フィルモア帝国皇帝になったとしたら、彼の子孫はレーダーフィルモア両王家の血を持ち、それが忠実な家臣(で良いのか?)ボットバルト本人もしくはその子孫に流れてくる可能性は多いにあるんじゃないかなぁ・・・

ボットバルトは元々ドナウ帝国内バルバロッサ王国の国王という立場ではあるのですが、彼の台詞回しから、トリハロンに対してだけでなく「プリンセス・シャンディ殿下」に対する敬語具合からも、ボットバルト自身のドナウ帝国内での地位はそれ程高くはない様に思います。
それがメインのレーダー、フィルモア王家両方と関わる血筋と関係してくれば、彼の出身であるバルバロッサの銘は多いに上がるでしょう。
ただ、とはいえ、どういう事情だかは分かりませんがバルバロッサ家はボットバルトの時代とあまり変わらずに、メイン街道ではなく、裏街道・・・というと怪しいですが、華々しい王位継承とは関係ない路線を行っているようです。星団暦からはまだ一人も皇帝を出していないみたいですし。しかし他に両王家と接点をもつ家がありません。恐らく、その生き方の方が彼らには・・・ボットバルトの感じからもそれが相応しく、また立ち回りしやすいのかも知れないな、と映画を観つつぼんやりと思いました。

しかし何故バルバロッサ王家は表舞台に立たないのか?
もしトリハロンがレーダー王家との縁組が成り立った場合、両方の血を持つ彼らの子孫は必ず「争いの火種」になることは間違いない話になると思います。
トリハロンとしては折角統一した帝国がそのような事態になるのを避けたいし、何より今までのバックグラウンドにある多々の王家を敵に回す気はないでしょう。
なのでもう一つ妄想するとすれば、トリハロンは子孫を沢山残したり新たな王家(レーダー=フィルモア王家、みたいな)を興したりせず、先にも書いたバルバロッサの家系に子供を託しつつ「表舞台に出ず帝国を支えるよう」訓示した可能性はあると思います。…なんて書いたら何だか会津藩の御家訓みたいですが(^^;;御家訓については今の大河ドラマ「八重の桜」参照で…)
そうだとすれば同時に、トリハロン自身から直接あるものがバルバロッサ家に受け継がれている可能性があると思います…ハスハの巫女が代々受け継いできたもの…エンプレスと同種の感じで、カイゼリンが。

最後に、私が今まで書いてきたGTMとFSSに関する全ての妄想群をちょっとまとめてみます。

ノルガン・ジークボゥは恐らく「大人の事情」で今迄の家人のように裏から、とはいかずフィルモアへの表舞台に立たされる事を余儀なくされるのだと思います。
しかし彼は決して独りぼっちではありません。(そう考えるとダイ・グはますます孤独感が…)
今名前が上がっているだけでもヨーン、ちゃあが。国を越えた親友と呼べる仲間がいます。
クリスだってフィルモア帝国の・・・愛しい人から託された成し遂げねばならない使命の為、彼をあるべき方向に導くため必死で彼を護ってくれるでしょう。
又いくら「借り物扱い」とはいえ、彼の重大な使命を知るファティマ達…特にエストは敵にも回る事もあるかもしれませんが…全ての人間を愛しているみたいだし…彼女達だって彼と帝国民の行く末はとても気がかりでしょう。そしてエストは彼の持っている…「皇帝」という名前のMHを、彼自身は争いを好まないかも知れませんが、いざという時には共に駆って戦場へと行くのでしょう。
そしてかつてのご先祖様のように、戦にならないので有れば彼は何でも利用する…彼には他に好きな人がいそうだけど、目的の為なら別の女性と結婚だってしまうかも。しかし平和のため、フィルモア帝国民のためならば。そんな彼の人生における奮闘と弛みない努力を大きな愛で温かく見守るのがクリスとベリ…いや、ユニオⅤではないのでしょうか。そして彼は偉業を成し遂げ、星団の歴史に残る名君になっていくのです。
そしてその先、彼の子孫については、フィルモア帝国のどの王家でもなく別のとある王家で、星団にとってまた大きな力になり、神アマテラスに対する人類の希望の一翼として、やがて「ある人物が」4000年代に聖宮ラーンから旅立つのでしょう。

・・・そんな物語を秘めているかも「知れない」謎の存在、バルバロッサ大帝がカーテンの奥の奥から今度漫画ファイブスター物語に登場するのです。えらく楽しみじゃないですか!
そして映画ゴティックメードの最後に出てくる、これまた謎めいた存在・・・ウォータークラウンと茜色の衣を両方身に付けている、トリハロンにすこし年齢を重ねたみたいな容姿のあの方についても。
ってそんな強引なまとめ方していいのか・・・すみません、今書いたことは出来たら忘れてください・・・

20130215 チーク(cheekandlip)
シューベルト交響曲第8(9)番”The Great”と共に。