2013年8月8日

風立ちぬをざっと書く。

昨日映画「風立ちぬ」を見てきました。

宮崎駿さんというか、スタジオジブリもの・・・
私は「風の谷のナウシカ」に関してはその混沌と力強い世界が原作漫画、アニメーション映画も両方大好きです。(漫画を読むとアニメのラストはちょっと・・・なんだけど、人物の動きや世界の作りこみとかはやはりかなり素晴らしいのひとこと。)何せ幼い私がアニメーションに嵌ったのがこの映画でしたから。自分に与えた影響は相当強く大きいと感じます。
ただ他のジブリ映画に関しては作品による・・・というかどうもジブリ映画の「世間的にも当たり作品」とは相性が悪く、「魔女の宅急便」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」についてはあまり良い印象がありません。この辺りは書くと長くなるので置きますが。
そういう事もあり、最近のジブリ作品は見たり見なかったり。劇場へ足を運んだのは「ハウルの動く城」以来になります。※ハウルは最初の数分だけ非常に好きです。あれで全てだと思ってしまうのですが^^;

今回評判が多様なのとtwitterのフォロワーさんにもお薦めされ足を運んでみました。とはいえ映画について全然知識がなく、スクリーンに向かう前に知っていたのは零戦の設計者を「モデルにした」お話であること、主人公の声を庵野秀明さんが充てられているのと、ヒロインの名前が「菜穂子」であること・・・いえ私字は違いますが本名は「なおこ」ですので、変な気分になるかなぁと思いながらも、それだけしか知らなかった事を先に書いておきます。

以下ネタバレを含んでおります。未見の方は読まないほうが。

主人公の夢が映画とリンクしている構造になっていて、「本人はただ理想とする飛行機を作りたいだけ。それがどう使われようとその後は自分の及ぶ所ではない」という感じを受け、なんというか、とても優れた創造者の日々を視覚的に分かりやすく追う、みたいな展開になっていたように思います。そしてそれは自分にはとても真似が出来ませんが、確かに誰もが一日に24時間しか時間を与えられていないのでとある目標に追求に追求を重ねるとそんな人生になってしまう、そしてそれは代償を伴いつつも清清しささえあるかな、とは感じました。
出来上がった飛行機が彼の夢の中で破壊され消えていくのは、彼にとって「最善と思って設計した先の限界が見えてしまう」のでしょう。ひょっとするとエイドリアン・ニューウェイなんかはF1の新車を設計してそれが出来た時点でもう、また次の改めなくてはならない点が浮かんでくるのかもしれません。
そして人生の殆どを飛行機に没頭しているから彼は時々人の話を聞いていない。その辺りの描写はアクセントになっていて上手いなぁと思いました。これまた時々出て来る堀越二郎の妹、佳代とのシーンでも強調されていますよね。
そしてそんな彼を、堀越二郎は親切でとても優しいけど、一方ではそんな人物だと知っていても、全てを受け入れ命を賭して愛を貫いた菜穂子さんの存在・・・ってあの「運命を伴ったような」出会いは反則にちかいものが(^^ゞだってあれでは全面的に、ずっと信頼を置くに決まっている・・・!そしてそういう展開に私は非常に弱い(^^ゞ(^^ゞのですが、それゆえに気になった所があります。

ラストシーン、夢の中でカプローニさんと談話する所に菜穂子さんとの再会がありますが、彼女はやがて消えてしまいカプローニさんとは話が続いています。これって「零戦の時は彼女はかけがえのない存在だったけど、その後の人生には(思い出としても)寄与しなかった」ということなのですか?
生きてその才能を発揮し、堀越二郎としての人生を切磋琢磨して輝いて欲しいという彼女の言葉は届いたかもしれませんが、夢であっても彼の中でずっと寄り添って欲しかったとは思うのです。夢なんだから。それとも愛も大事だけど結局は自分の夢に生きてしまった、と取る所なのでしょうか・・・
その辺りと、キャッチコピーの「生きねば。」がやや唐突かな・・・。堀越二郎は戦後も長くご活躍なさっているので、零戦での光と影を見た、そんな今後の彼の人生もほんのちょっと、覗かせてもらえれば良かったかも知れない気はしました。
というか最後のシーンは観た時は「もうこの世にいないもの」としてのシーンなのかと思いましたよ。

個人的には大正~昭和初期の風景・・・最近親戚や家族から昔の写真を色々見せてもらっていたので、その時はこんな感じだったのか日本、というイメージと今とのギャップがより具体的に広がりをみせてとても興味深く、また観ていてタイムスリップをしているようでもあり、とても素敵だと思いました。上野や名古屋駅とかは行かれたことのある方は、今でもああそんな名残がある!というのがお分かりになったかも知れません。
そして飛行機のドラマなので空はとても美しく、飛翔する飛行機は映画の「夢でも現実の世界でも、」触れてはいけない領域も感じる危うさと孤高さが混じった描写がされているように感じられ、これはテレビではちょっとそんなことは感じなかっただろうなと思ったので、その点では観に行ってよかったと思いました。

ただね、ただ・・・
主人公のビジュアルは何とかならなかったのかなぁ。ちょっと現実味なさすぎるだろうに。才気溢れる創造者として、庵野さんを採用した声の意図は理解できたけれど(合っていたと思います。演技がどうかは別で(^^ゞ)パズーをそのまま若干歳を取らせて眼鏡かけただけじゃないか。菜穂子さんはヒロインなのでドラマの展開も考えれば美少女で良いのですが、堀越二郎は外見をもっと「ありきたりな」青年で描けなかったのかな・・・震災から殆ど姿が変わっていないのも違和感が。子供時代にいじめっ子を投げるシーンも、格好良すぎなイメージを付け足しているようでその辺りも気になりました。普通は駄目なんですかね?あれだけ好青年なら菜穂子さんはどんなルックスでも惹かれてくれると思うけど。他の面々が個性的に書かれていたので尚のこと・・・映画的に二枚目でないと駄目なのかなぁ。

そんな所です。ざっとで申し訳ありませんが、私になりに書かせていただきましたm(__)m2時間楽しかったですよ。何かに打ち込んでいる方は特に、一度観ておいても損はないように思いました。

3 件のコメント:

  1. ふと立ち寄ったらこちらに感想が...。いつもお騒がせなNakagawaです。通読させてもらいました。少しお時間を頂いて感想の感想を書かせてもらおうかなと。

    菜穂子との出会いと再会のシーンは映画の方程式みたいな演出でしたよね。ああいうのを宮崎さんがやるとはと意表を突かれました。ああいう展開お好きなんですね!

    ラストの菜穂子に礼を言い、カプローニと歩いて行くシーン。チークさんの解釈でも良いと思いますが、単純に捉えて”今生の別れ”と”継続していく人生”と捉える形も悪くないと思えます。ただ堀越二郎が既に常人の感覚ではなく、過去となったモノらに対して振り切って捨て去るように情を繋がないという側面も描いているようにも思えて、たぶんそれらを同時に描いているという解釈も十分に成立しそうです。

    エイドリアン・ニューエイを引いてましたが、彼ら設計者=デザイナーはチークさんのおっしゃるとおりに、今完成したモノは既に過去のモノとなり、次に向かって止まらないでしょうね。それはナガノ・センセイも同じなのでしょう。

    堀越二郎の有り様に小さい文字で私見を述べておられますが(小さい文字には突っ込むなといういのが、たぶん常識なのでしょうけれども)、あれはどう見てもある類の理想形ですよね。いろいろな描写を見てても理想形だなぁと思えるのが多くあり、古き良き異能者像というか聖人君子像かなと。そう見てました。宮崎さんの中に有り大事にしている理想形のひとつだと思えるんですよね。と、これも私見ですが。

    「生きねば。」が唐突に思えましたか...。うーん、そうですか。僕は「生きねば。」で合っている脚本構造だと思うんですよね。その、なんというか、色々なものを見てきたものですから言うのですが、僕を含めて、近年の人たちの生きるに対する姿勢って、ちょっと潔癖が過ぎるというか、理想形に過ぎるというか、単純論理的帰結に向かい過ぎるというか、ひとつの感情に染まり過ぎるというか。よくうつ病になり易い性格傾向として言われるものに、0か1かのデジタル・シンキング傾向が強いというものがあるんですよ。ちょっと嫌な話題が出ましたが、これは近年の人々の思考形態と結び付いてあるものとして解した方が良いと思うんですよね。この映画で描かれる堀越二郎も現実の宮崎さんも多難を越えて今が有り、それに意味があるとかそういうことではなくて、超えた先が素晴らしいということでもなくて、寿命を生きねばならぬ宿命を受け入れろという、そういう意味での「生きねば。」なのではないかと、僕などは考えてしまうのですが、これもまた先走った読み方なのかもしれませんが、なにか感じずにはいられない言葉であったことは僕においては間違いのないことであったのです。

    という感想の感想を書いてみて、本当にチークさんとは生き方や生き様が異なってたのだなぁと感じるばかりでした。僕は面白いと思うのですが、他人はなかなかそうは思わぬ時も多く、感想に感想を紡ぐ行為が良いのかどうなのか未だによくわかりかねるのですが、感想の交感の体裁にまで整っておれば幸いに思えるところです。

    うーん、こんな感じでどうでしょう??





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  2. Nakagawa様
    コメントどうもありがとうございました。同時にお待たせしてしまって申し訳ありませんでした。
    うーん、悩みましたが性差あるいは個人差かなぁ、とは思いました。(個人差の方がより大きい気もしましたが。)私たちは誰しもがそれまでの生き方が違うのは当然の事であり、この映画に関しては特に色々思うことが種種多様であるのとも関係しているように思います。
    ただ堀越さんの同僚の方は嫁さんを貰うと台詞にはあったもののその後その方は一切姿すら出なかった。勿論映画の尺とは関係あるとは思いますがその方にとって奥さんは夢を追う目的とは殆ど関連のない存在だったとは取れる気もしますし、となると一瞬でも菜穂子さんは彼の人生の中の夢(これは見る夢ではなくて人生の目標として)に関わりがあったのでしょう。とは言えるのかもしれませんね。
    何だか曖昧な事を書いてしまってすみません・

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  3. 拝読しました。人の生き方の積み重ね方は多岐に渡るというのが最近は面白いものだなと思うようになり、特に会って話す人たちの色彩の豊かさに心躍らせながら話を聞く日々です。チークさんの想いの形というのも生き様を感じさせるもので、確かに性差の関係していると感じますが、僕はなかなかチークさんのようにひとつに入り込むことが今やできなくなっているようで、できている部分もあるのかもしれませんが、FSSではもう「先生、教えてください!」状態でして、敵わないなぁという感じで、そのエネルギーの傾注を楽しませて見させてもらっている感じです。

    さて「風立ちぬ」ですが、ライバルは芹沢?でしたか?彼の「嫁をもらう」という場面は男尊女卑の時代性を感じさせる場面でもありましたが、チークさんの言われるとおりに堀越二郎の菜穂子を思うのとの対比になっているように僕も受け止められました。あの時代の人たちは妻への愛情をあまり多く語らない人々だったように記憶していますし、内助の功が重視される時代でもあったように思います。「夢を追う」にしても「使命を背負う」にしても大変重いものとなるのだと、FSSを見てもそうですが、その重さに狼狽えるばかりです。これからの時代を思うと大変に心重くなる部分のある作品だったと僕は感じているところです。

    何か傾注できるものがあるのは正直羨ましい。これからもチークさんのご活躍を楽しみに見て行きたいと思っております。

    いや、本当にわからないことばかり先読みして書かれるので、見に来るときには心の準備をして「さぁ行くぞ!」と気合入れないという感じでして。アンソロジーの発表も楽しみにしております。

    ではでは。

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