2012年11月12日

その5


とにかく今回一番の不満だったのが…宣伝費なかったんかい‼と言いたくなるような作品以外でのお粗末さ。
今でも「え、ゴティックメード公開していたの?」「出来ていたの」「映画作ってたんだ…(これは少数だけど、いた。)」というツイートを幾度となく見かける度に思う。このツイート自体はまだ映画のことを知り得たんだからいい方です。ひょっとするとFSSファンでもかなり暫く経ってから気がつく人出てきますよこれでは…

もうとにかく何もかもがずれている。

雑誌ニュータイプでの情報は少なく(作品に関するものではなくイベント系。あんなギリギリじゃ載せられないか…)、
公式サイトはFLASHの嵐なのかPCでないと確認出来ない。スマートフォンの方も多いだろうに。ネットの認識、数年分止まってる?(デザインは工夫できるでしょうに…)
また、折角永野先生と井上社長の楽しいお話が聴けるまも☆しんは何故かPodcast。(これ、YouTubeとかニコニコ動画に出来なかったのか?閉鎖的印象も抱きつつ聴いてました。公式サイトに動画置いておくだけでも違っただろうに…と思ったけど、公式のお洒落感??を削ぐから?。いやそんな場合では…)
おまけに最初は公式SNSがFacebookしかなかった。(実名で漫画やアニメを語れる方は絞られてしまうはず…)その後で出来たツイッターも情報が遅いし何より、熱意を感じない。
ツイッターを工夫して使っている企業アカウントは、自ら祭りが生み出せる様、色々発信したり(それが例え売りたいものと直接関係のないことでも)ファンに提案してくるのになぁ。ツイッターできた時に公式ハッシュタグ作ってくれとすぐお願いしたのに、出来たのは大分後だし、また面倒なタグを…(ごめんなさい。公式タグ#GTM_1101使ってますがアンダーバーやめて欲しかった…字数考えないならなら#ゴティックメードで良かったんじゃ。)
プログレさんの(エスト表紙のね)アカウントはプログレという音楽を多いに広めよう、という思いを多いに感じるのになぁ。少なくともこの作品の、あるいは永野先生の何かを伝えたい、という個人の姿が(偽であれ)浮かび上がってくるようでないと、ツイッターでの発信は、bot以下の存在になってしまうと私は思います。

ニュータイプだってFSSトランプの件で多いに失望。…私は以前の宣言通りあれは買ってませんが^^;先生のことでは一番当てにしているんだから綴りを間違えないでくださいよ…やっぱり熱意がないのかと思ってしまうではないですか。

私は多分、このブログを書いていた以上、ファンの中でもマメに情報チェックしていた方だと思うし分かればツイートやブログで即話題にするようにはしていましたが、何せ偏見強いただの一ファンでは限界があり過ぎる。もうそれはここ半年多いに痛感したことです。
公式が同じ事言ってくれたならもっと情報の輪が広がるのに。と思った事は何回かあります。
しかしそれ以上に、まも☆しんで製作発表イベント決定情報が2日前とか、公開前日イベント発表が3日前とか、告知そのものが遅すぎるよorz
これは実際にファンが足を運ぶ、運ばない、というのもありますがその前にそんな事があるんだ、という情報そのものが時間がないから大きく流れない。それでは映画の宣伝に全くなっていませんよ!
それでも私は、幕張メッセのイベントは、知ったのが2日前でもその日だけは空いていたので、何とか出かけてブログの記事にしようかと思いましたが、調べたらチケットが既にないイベントだとわかり、その時は物凄くガッカリしました。ファンをワクワクさせる筈の数少ないイベントなのに、失望させてどうするんだ…

とにかく11月1日映画ゴティックメードが公開されます!こんな映画でこんなイベントも予定しているよ。楽しみにしていてね‼という情報すらちゃんと流れないようでは、ファンもそうだし、そうでない人はもっと知り様がない。何でこんなに「響かない宣伝活動」になってしまったのかは、大いに疑問に感じています。
製作延期とかで色々狂ってしまった点もあったのかも知れないけど、さ…

※新宿タワレコで川村万梨阿さんのミニライブイベントが12月15日にあります。(私は行けませんが)これくらいじゃない?普通の人がスケジュール調整して行ってみようかと思える余裕のあるイベントは…まだ時間がありますので、もしご興味がある方はこちらをお読みになった上で、参加券をもらって楽しんできてください。


さてもう映画は公開されてしまったので、後はクチコミやこういった活動に僅かな希望を託しつつ。
GTMの世界は、私にとって魅惑の世界でした。映画でもアニメでもなく、美術館に作品を観に行くような感じ。
前にも書きましたが、草原のそよぎ、見たことあるような、でもないだろう雨の風景、雷雲に砂漠の乾いた感触、刻刻と色を変える空と大地と水面の色、民族と衣装、食べ物!(どれも美味しそう…スタッフドトマトとかナンとか。うどんも見られてここは中央アジアかしら。もともとイラン料理とか好きなので眼がキラキラしたかも^^;トリハロンのおやつらしきショートブレッドも良いですね。)
そしてキャラクターの周りをふわりとなびく風。ただただ美しく思え、あの世界に潜りたいなとスクリーン越しに思いました。
展覧会を見ている様な…という色の変化に、突然謎の幻像が忍び足で飛び込んで、たちまち急スピードと爆発音のような感覚を得た時、恐怖と美しいな、という思いが同時にやってきて、これは非常に身震いがしました。個人的にはカイゼリンのシーン以上に鮮明に。
カイゼリンに関しては…綺麗だな、と思っているうちに全て終わってしまったのがちと残念でした。ただ気になったのは、その後あのエンブレムを探し当てるシーン。彼女?の頭脳がそうさせたの?それともここはおとぎ話?(KOGがジュノーンに剣を渡すような)それによって話の印象がまた変わり、若干気になるところではあります。
そうそう、サントラについても書きたい。グッズの中でイチオシだと思います。映画を気に入った方は是非手にとって頂きたい程。演奏も丁寧で美しい。録音も素晴らしい。途中からは更なる熱気も追加されます。永野先生のレビューもあるよ。(ただ、カイゼリンという曲は、JesusJonesの"Phoenix"や"Starting from scratch"とか似ているんだけど…やっぱりマヨール・レーベンハイトのモデルってマイク・エドワーズ?^^;)
そうそう、今かかっている「巨大な陰謀」は、FSSでも色々使えそうです。漫画ファイブスター物語を再度読み返してると時折この曲が頭をよぎるようになりました。お試しあれ。

色々賛否両論あるようですが、私個人は、初回はファン向きかとも思いましたが、2回目、3回目と印象が変わり、この作品はFSS全く関係なく好き嫌いが生じるように思いました。この作品からFSS知った方は後々、その背後に潜むものに驚けば良いじゃないですか。映画ゴティックメードのお話はオペラの多くがそうであるように、FSSとも違って至ってシンプルです。だからこそ余計浮かび上がる「作者のデザインとこだわりと世界そのもの」を気に入って頂けるのはセンセイのファンだけではないと今は強く思います。
(FSS知らないけど映画に興味を示し、気に入って下さりそうな方にはいきなりツイートでお声をおかけしてしまった方もいます。もしいたらあの時は不躾ですみませんでした。素敵な出会いになっていれば良いのですが…)
前にも書きましたがこの作品は映画ではなく、永野先生が手がけた芸術作品だと思ったら全てが合点がいくようになりました。作品だけなら大変贅沢で手間暇かけただけのことはあります。熱狂と冷淡が見る方によって同居する映画というのもまた面白い。アートって本来はこんなものではないでしょうか。

しかし、私たちも先生も時間がそう潤沢に残されているわけではありません。コーラス3のように剣を託す訳にも行きません。どうぞ先生にはなるべく早く、世界の続きを観せて頂きたいものです。

20121112
”チーク”(cheekandlip)

追記
色々飛び交っている最後の人物。多分ウォータークラウン+エストから=レーダー9だと思うのは間違いない(と思う)のですが、レーダー9=ジークボゥ→まんまトリハロンだと飛躍しているのはどうも私だけみたいだなぁ・・・^^;単純すぎる?
でもカイゼリンに乗って敵を倒したときの姿。何故彼は涙ぐむ?
実際の戦闘がはじめてだったの?
ベリンに責められるのが悲しかったの?
それとも必要に迫られた事とはいえ、人殺しそのものが、彼には辛い事なの?
(↑勿論物語り上での、お話でですよ。)

これがいずれの場合にせよ、どうも強い筈なのに気持ちが繊細すぎるだろう皇子様~と感じてしまうのですが。おいおい大丈夫かよ、と思いながらドラマが進行していくと、ベリンはそんな彼を理解しつつも、そんな彼だからこそ皇帝になるように進言します。
血が流れる事の苦しみが分かる彼だからこそ。と思った瞬間、ジークボゥの説明文と重なるような、そんな気がしたのです。トリハロンは「優しい人物」なのだと。
そしてどういう経緯があったのか詳しくは分かりませんが、彼は戦闘によらずに、周辺諸国を纏め上げ、やがては二重帝国の皇帝になります。(この周辺諸国を纏め上げ~という表記は、戦争を国是としないコーラス王朝の成り立ちでも時々出てきますね。)
そんな偉大な人物であるならば、レーダー9がそっくりさんであっても良いなぁ、と思ったのです。
ダイ・グも素晴らしい人物なのですが、彼はシステム・カリギュラの暗躍すらも利用しつつ戦によってフィルモアに別の領土をもたらそうと画策します。(それが決して彼の本意でなくてもね)
しかしこれが上手く行かないだろうと、年表を目の当たりにしている多くの読者は彼の悲哀と共に大いに不安に感じている筈です。
加えてフィルモアには星崩壊までに時間がありません。そんな中もっと「優しい人物」が皇帝になってしまったら・・・
それでも何か重大な決意を伴って事に当たるとしたら、きっとダイ・グとは違う方法で何か乗り切ろうとするのではないか、そんなドラマがあっても・・・いいかなぁ。と。
ただし、フィルモア帝国の組織内はあまりに複雑で正直関わりたくないような部分も多いにあるような気がして、そういうのにどう立ち向かいつつ一つに纏め上げるのか。(でないと国民が滅亡してしまう)そんな事をラストを見ながら思ったのは確かです。
たとえこの文章が大外れでも、フィルモアの星崩壊が起こるのは年表上の事実ですし、そんな事に頭を巡らせられただけでも良かったかな、と思っております。

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